2023年3月会山行

2023年3月11日(土) 三体山    天気 ピーカン

Ⅼ荻野 鏡 阿部忠 西田 阿部研 岡安 塚本 大竹(8名)

タイム 長井ダム通行止めゲート前6:25~不伐の森~稜線11;35~三体山頂12:20~滑降~不伐の森14;25~ダム15;35

プロローグ①

前にメールで流したが、この山域にはちょっとしたこだわりがあって、当日が会山行予定日だったことを失念したまま、先月初めに「3月11か12日に三体山に行きたい。ヘルパー募集」なるメールを出してしまった。3月担当の荻野君が、そうした”横槍“を温かく受け止めてくれ、なんと会山行の山域を三体山に変更してくれた。なんともはや、申し訳ないやら嬉しいやら・・。

プロローグ②

僕と鏡さんは、前日晩に登山口である長井ダムに前夜泊で向かうことにしていた。10日、金曜日の19時過ぎ、「ピンポーン」。妻に「こんな夜に誰だろう、訪問販売?」出てみたら誰も居ない。居間に戻ったら再び「ピンポーン」。玄関を開けると、鏡君が立っている。「今日ですよ」‥一瞬頭が真っ白!すっかり日曜12日が山行の日で、土曜の晩が前夜泊と思い込んでいた僕は大混乱。慌てて着替え、妻に明日朝の握り飯二人分を作らせ出発。自分には珍しく、前もって山の装備を車に入れて置いたので助かった。が、歳を経ても変わらぬドジに我ながら情けなくなる。

本題

暗い中をナビ頼りに約3時間かけて長井ダム着後、車中泊。5時過ぎに起床。外に出ると遅れて前泊した塚本車があった。6時には5名が乗った岡本車が早くも姿を現した。彼らは4時にモシモシピット発(朝寝坊の自分には絶対無理!)6:25 出発。雲一つない放射冷却の早朝は吸う息が肺の奥まで冷たい。雪山に囲まれたダム湖を右手に見ながら、8名がスキーを担いで歩く。ちなみに長井ダムは近年建設のもので、以前あった菅野ダムが当時の大雨の際、河川勾配のきつい野川で持ち堪えられず大きな被害をもたらしたことから、より大規模な今の長井ダムが建設されたという。その結果菅野ダムは、今もそのまま長井ダムの湖底に沈んでいる(ダムの湖底にダムがある)。

歩いて間もなくトンネル手前の道路が脇の急壁から落ちた厚いデブリで塞がれ、乗り越すのに苦労した。二つ目のトンネルを越えた先から、雪の路面となり、スキー歩行に切り替えた。緩い勾配の道をしばらく進み、不伐の森へと分岐を左に降りる。長井ダム建設に伴う廃土捨て場として皆伐され、その自然破壊の反省から新たな森作りと市民憩の場として長井市が起こしている事業らしいが、植林は雪で埋もれているのか、ただ広く白い斜面がのっぺりと広がるばかりである。その分ここからの景色は実に素晴らしい。

遠くに祝瓶のピラミダルな姿やこれから向かう三体山の稜線が青空の中にすっきりとしたラインを描いている。「すごいね~」「いいね~」と写真撮影会となった。心の片隅では、遥か遠くの三体山の白い姿を見ながら、「果たして届くんだべが・・」ここから少し下ると、今回一番の懸案事項だった濁沢の渡渉がある。なんとか弱点を探し当て、スキーやザックをバケツリレーで運ぶことでなんとか渡渉できた。次のネグラ沢と呼ばれる小さな沢は、雪に覆われて問題なく進める。地図上にある道を辿って台地に上がる。

2009年3月に小国町側から入って敗退し、その5月に野川発電所近くから吊り橋を渡って下見に入った際、帰りにこの道を散策したことがあった。ここから三体沢を渡った先に、昔 桂谷と言う集落があり、分校もあったらしい(昭和39年閉校)。分校跡地に、卒業生の方が掲示したと思われる写真が数枚ほど木に貼ってあったのを思い出す。

台地を斜上した後、桂沢に左手の急斜面をトラバースするように入り、途中から右手の尾根に取りついた。ブナ林の急な斜面を100m程こなして進めば821のポコ。あとは尾根を辿るだけである。途中、逃げ場の無い細く急な段差はあったものの、それ以外はさほどのストレスも無くブナ森を愛でながら高度を上げて行った。主稜線も近く垣間見え、ゴールの近さを知らせていた。

c1100辺りになるとブナ森は消えて広大な雪原斜面となり、城壁のように雪庇の連なる稜線が目前に広がっていた。1183付近の雪庇の無いコルへのトラバースも考えたが、西田君が「トラバースは危険」と、そのまま雪庇へ直行。あっさり乗り越えた。ここからが本日のメインイベント、稜線漫歩の始まり。右手には長井葉山から大朝日を盟主とした朝日の峰々、左手にはまさに連峰の名に相応しい飯豊の長大な山々。石転び沢も視認できた。到達した三体山は、山頂の目印と言われる臥龍の松が雪の中から緑の葉を出していた。360°展開の景色を満喫後、記念の集合写真を撮って下山開始。

戻りは、往路の尾根を辿らず、トラバースしながら三方境を源頭とする桂沢を側面から入った。真っ白な源頭は見た目より斜度があり、雪もここ数日の高気温でかなり重い。西田君が先陣を切っての滑降。一気に下まで飛ばす!飯豊の山頂から御室の沢を滑った時の西田君を思い出した。あの時も、みんなが雪の状況が見えず躊躇している中をいきなりダウンドロップ。たいしたもんだ!この日も、彼につられるようにそれぞれが急斜面に入っていくが、何人かが表層雪崩を起こしながらの滑降となった。僕自身も滑っていると、後方で誰かが「大竹さ~ん!」と叫んだ。振り向くと左手後ろの浅い沢筋から「ザザー」とゆっくり流れるような湿雪表層雪崩。思わず尻もちをついた。冷や汗の後は、沢筋を避けながら慎重に安全地帯まで降りた。後続も思い思いに白く広大な源頭斜面を滑り降りてくるが、何人かが、滑った直後の浅い雪崩を起こしながら降りてきた。最後に、全員の滑りを確認していたリーダー荻野が滑降。鏡君が上に向かって「沢筋に入るなー!」と大きな声を出す。途中浅いながらも広い表層雪崩が起き、その脇を滑降。下で見ている僕は半分感心・半分冷や冷やハラハラ。その中を力強いターンをしながら滑り降りてきた。滑降後の広い源頭雪面は、縦横にシュプールそして雪崩の痕跡。大規模な雪崩が起きても不思議は無く、今日の状況では,本来入ってはいけない斜面だった。その後、安全なところまで降りて休憩。

その後、往路のトレースと合流し濁沢を渡渉し不伐の森へと上がった。渡渉点では後学のためにと、橋の有無を探しに下流を少し辿ってみたが見当たらず。ただ、ザックを背負ったまま渡れそうな浅瀬が2か所ほど確認できた。道路へ出た後は、ひたすらグサグサになった往路の道路を滑り、デブリを越えてダムの車デポ地へ着。

エピローグ

10数年前に存在を知った三体山。数年前に企画したが、その時はダム付近の道路が雪崩で春まで閉鎖。歳もセブンティセブンだし、このまま思うだけで終わるのかな?と思いつつ、恐る恐る&思い切って提案してみると、なんと会山行への組み入れの温情配慮。しかるに、山行日を間違えるなど情けない出発となった、が、仲間のお陰で夢が現実となって結実し、溜まっていたオリが除けた思いで、心中すっきり!しかも好天のオマケ付き。 今シーズンピカイチの山行と相成りました。改めて「みなさん ありがとう!」です。         記 大竹