2024年正月合宿

鳥海山/万助小屋・月山森

日付:2023年12月30日(土)~2024年1月2日(火)

ルート概要:

12月30日 10:40臂曲神社 入山-14:30万助小屋(泊)

12月31日 7:30小屋-9:30 1400m-10:20小屋-13:00南ノコマイ二股-14:00小屋(泊)

1月1日 9:30小屋-11:30檜ノ沢左股ルンゼ-12:50小屋-14:20Co1250m-14:50小屋(泊)

1月2日 7:00万助小屋-9:30 Co1450m南ノコマイ左股渡渉-12:00月山森-15:30三ノ俣 下山

本隊:荻野,西田,田辺

サポート隊:12/30:鏡,阿部 12/30-31:牧野,坂本,丸山

「忘れがたい山」この一言に尽きる。元日16時過ぎに発生した令和6年能登半島地震では、遊佐町でも緊急地震速報が出され、津波警報が発令された。万助小屋でくつろいでいた本隊のもとにもエリアメールが頻繁に届き、静かな小屋に鳴り響いた。

『忘れがたい山』は酒田で物理教師を務めながら鳥海山に通い詰めた池田昭二(1927-2011)のエッセイ集で、万助小屋に秘蔵されていたが、目次を読むだけで面白い。元日登頂への挑戦、新ルート開拓の足跡、太平洋―日本海の県境稜線踏破など、どれも読み応えがあった。秋田に住んでいたときには毎週通えた鳥海山も、いまや片道3時間超。もう少し近ければと思いつつ、2024年は月山をYのテーマと(勝手に)設定した訳で、春夏秋冬に取り組みたいと思いを新たにした。

そんな池田昭二らが指導した酒田の各高校山岳部が築造し守ってきた万助小屋を起点に鳥海山の山懐で年を越した。

(1日目 12/30)

仙台を6時に出たものの、臂曲の集落に着いたときには既に10時を回っていた。遠い。

三ノ俣に車1台デポし、絶対に谷を渡ってこちら側に降りてくるという強い意思を持って、臂曲神社から入山した。計8人での入山。年越しの本隊は3名なので手厚いサポートである。“なるだけ多くの人が参加できる合宿を”という今回のコンセプトは達成できた。

さて、心配された雪も、何とか入山からシール歩行できるレベル。例年、ラッセル祭となる正月合宿初日は、寡雪のうえ素手で行動できるほど汗ばむ陽気のなかで快調に行動した。
入山が遅くなってしまったため、日帰り隊は十字路を少し過ぎて、13時に引き返すこととなった。下界の見通しが甘くて申し訳ない思いだ。

順調に登山道沿いを進むも、最後は藪の細尾根となって、やや苦労して万助小屋入り。同時に青空が広がった。初日の天気が一番良いのは正月合宿あるあるなのだろうか。。

石炭ストーブがある万助小屋。日誌によれば11月に計145kgもの石炭を地元の高校生があげてくれている。感謝感激雨あられ、いや降って欲しいのは雪なのだ!

小屋の夜は美酒美食のフルコース。丸山さんの赤ワインとフランスパン&ゆずジャム&チーズを皮切りに、坂本さんの春巻きにしらすご飯、〆には牧野さんのイノシシ肉。忘れてはならない伊藤さんの「佐藤」。暖かく賑やかな夜は更けていった。

(2日目 12/31)

のんびり起きると坂本さんの特製サンドイッチ。お尻に根が生えそうだったが、一応登らねばと7時半発。1泊隊の3人に1150m地点まで送ってもらい、鍋森方面を目指す。さながら極地法である。日帰り隊・1泊隊に押し上げられていよいよ本隊3名のみになった。しかししだいに天候が悪化。1400mでいよいよ何も見えなくなり、あえなく引き返す。一度小屋まで上って、今度は下山のための“プランB”偵察に、南ノコマイの渡渉点を探しに出かける。

ゴルジュ帯が続き川床に降りるポイントを探すのに苦労したが、何とか二股に出た。流れが見えていて気が重いものの、ハイハイで突破。対岸に渡る見通しを持って、三ノ俣への下山に希望が見えた。みぞれに降られ、ビショビショになって帰投。

夕食は麻婆豆腐など。テントでは作る気がしない料理にもチャレンジできることが小屋のありがたさ。西田さんの10年もののウイスキーに伊藤さんの梅酒に酔いしれ、紅白を聞きながら、人は減れども賑やかな2日目の夜。小屋の暖かさとは対照的に、夜半から雨が降り始めた。

(3日目 1/1)

年が変わるまで起きていたので、さらにのんびり9時半発。檜ノ沢左岸の藪尾根を進むと、檜ノ沢の対岸に笙ヶ岳から落ちる真っ白いルンゼを発見。少し戻って檜ノ沢の川床に降り立ち、ルンゼに入る。飛ばされてきたであろう砕かれた小粒な霰状の雪が溜まり、一歩進むごとに足場が崩れ苦労する。しだいに斜度が立ってきて、スキーを背負って雪壁を登ると、笙ヶ岳の裾野に出た。上部は昨日の雨で表面が凍っていて、檜ノ沢から100mほど登ったところで滑走準備。短いけれど、今合宿ではじめてまともに滑ることができた。一度小屋まで戻って、今度は小屋の真上の沢を辿る。小屋周辺の中では比較的樹間が広く、いっとき楽しめた。

小屋でまどろんでいると冒頭のエリアメール。ワンセグテレビ&ラジオから伝わる惨状に身につまされたが、まずは山を確実に終えなければならない。

(4日目 1/2)

3泊にわたって“寝正月”の舞台となった万助小屋をあとに月山森経由して三ノ俣を目指す。Yにしては珍しく4時台にパッと起き、小屋にお礼を言って日の出とともに出発。森林限界から上は全く視界がないが、風はない。一昨日発見したプランBも頭をよぎる中、上を目指した。一寸先は白。地面と空間の区別もつかない。西田さんをトップに慎重に進む。時折見える、埋もれ残ったブッシュが目標物だ。遠くに見えるようで近い。近いようで、足下は小さな沢筋で切れ落ちている。

GPSと心眼を頼りに4時間ほど白の世界を彷徨って月山森にたどり着いた。幸いにして雪は柔らかくアイゼンの出番はなかったが、さすがに月山森周辺の風はやや強まり足下は硬いシュカブラだった。標高だけで言えば、昨年の竜門山ほどはある。2000mに満たない場所で何を右往左往しているんだとも思いつつ、厳冬の鳥海山の山懐にいる幸せを踏みしめる。

月山森を過ぎても視界はなく、天守森を過ぎてようやく視程が広がった。藤倉川源頭は少し楽しめたものの、すぐに密林に吸い込まれ鈴木小屋。3年前崩壊寸前だった小屋は、ビニールシートで覆われ、中には角材が!再建するのかもしれない。さらに1時間半の藪スキーで三ノ俣。30日より雪は減って春の陽光だ。傾いた夕日に愁眉を開く。何はともあれ正月合宿を計画通りの行程で無事に完遂することができました。