紺碧の空の下 湯殿山へ

20210123      L大竹 深野 阿部 田中

好天予報に合わせて、今日は湯殿山。 湯殿山を含む月山山域は自動車道で繋がっていることもあり、地元温泉の回数券をシーズン初めに購入して通っている。 今回は、若手ばりばりの田中君を含む総勢4名。

いつもの石跳川から山頂への南東尾根ルートを辿る。 9:45 装備整え、登山者で満車となった志津pを出発。 定点観測標識は既にストック先端が届くまでになっていた。雪に覆われた自然博物館を左に見て石跳川筋に入る。 遠く青空の下で湯殿山が「おいで おいで」しているみたいに輝いていた。 すっかり雪に埋もれた石跳川を渡り尾根に乗ると、広大なブナ林。 何度訪れても静かなモノトーンの空間。 思わず深呼吸。

突然ながら、話が変わるけど、 ある程度の年齢になって、同じ山の同じルートを上っていると、体力・運動能力の経年劣化を否が応にも自覚させられる。 その都度頭に浮かぶのは、「時間の長さの感覚は加齢とともに短くなっていく」と言う 知る人ぞ知る、知らない人は知らない「ジャネーの法則」 ざっくり言えば、小学校の6年間と40、50を過ぎての6年間を考えれば納得するはず。 ましてや、60過ぎてからの月日の早さはまさに「矢の如し」。 いや、矢どころか音速ジェット並み! ついこの前まで「さほど息も上げず上った斜面」も、ある日突然「時々息を整えないと上れない斜面」に化けている。 “なんとかなった”は“なんともならなくなって”、「ジャネー」は、影となって背後から忍び寄ってくる。恐ろしや・・。 自覚しなければ・・と思う昨今。 「遅かりし由良之助!」かな? 昔の気分で地図を見ながら「ここ上って、ここ下って・・」なんて頭で行ける気分になって、実際にその場面に会えば、「こんなはずではなかった!」になる。 I am is not I was. 要自覚ですな!

そんなおバカな思いを脳裏に荒ぶる息を上げ、徐々に広がっていく下界の景色にも励まされながら、なんとか山頂着。 鳥海山を北に朝日や飯豊、蔵王と、まさに360度の大展望。 対岸の姥ケ岳にはゴマ粒になった登山者が4,5粒ほど遠望できた。 復路は、樹林帯を抜けた際、見えた山頂直下の大斜面に魅せられ、進路変更。 眼下に大きく広がるブス沼への標高差約450mの真っ白斜面へドロップイン。 広大な白い壁に思い思いのシュプールを描いていった。 その後は、ブス沼から延びる尾根筋を辿りカワクルミ沼へ滑降。 湯殿、姥、月山の三山がブナ林の向こうから顔を出していた。 そのパノラマロケーションを楽しんだ後は、特徴のないブナ森の迷走地形を適当に滑って、車道へ。 この時季滅多にない春スキーのような青空無風山行だった。

大竹 記

行程 志津p9:15―石跳川渡渉10:00―山頂12:20―カワマツ谷地13:25―志津p14:10