ツール・ド・月山

1.発心
ツール・ド・月山なる試みを思いついたのは2022年の夏だった。当時のメールは以下のようなものだった。

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差出人: 鏡 慶一
件名: ツール・ド・月山
日付: 2022年7月14日 9:14:04 JST
宛先: YMCA山岳会

山行計画というか、山行構想というか、山行でもなくて旅行プラン程度かもしれませんが。。

ツール・ド・モンブランという人気のトレッキングコースがあります。もちろん行ったことはありませんが、ガイドブックだけは買ってあります。氷河の上にも乗らず、クライミングもありませんが、モンブラン山群を眺めながら周囲をぐるりと一周、フランス・イタリア・スイスの3ヶ国を巡る11日間コースのトレッキングです。各行程はかなりのアップダウンのある峠越えなどがありますが、行程毎に整備された山小屋や山村のホテルなどがあり、軽装で歩くことが出来るようになっています。そのうち行ってみたいなと思っているうちに、段々厳しくなってきました。
さて、これに想を得て、月山一周ツール・ド・月山を考えてみました。地図を眺めて設定したのは以下のような行程になりました。一気に一周はなかなか大変ですので、区間に区切っておいおい少しずつ歩いてみようと思っています。ご興味があればお付き合い頂ければと思います。

Stage1 草薙 ― 土湯山 ― 板敷橋 ― 羽黒山
Stage2 羽黒山 ― たらのき代 ― 宝谷 ― 松根
Stage3 松根 ― 十王峠 ― 大網 ―塞ノ神峠 ― 田麦俣
Stage4 田麦俣 ― 細越 ― 湯殿山入口 ― 大岫峠 ― 志津
Stage5 志津 ― 姥沢 ― 横道 ― 清川行人小屋
Stage6 清川行人小屋 ― 念仏小屋 ― 肘折
Stage7 肘折 ― 今神温泉 ― 浄の滝 ― 角川 ―古口
Stage8 古口 ― 舟下り ― 草薙

各行程を見てみると、
Stage1 草薙 ― 土湯山 ― 板敷橋 ― 羽黒山
最終行程を最上川舟下りにしたため、最上川沿いの草薙からスタートに設定しています。ここは登山道・林道がありそうですが、土湯山に向かって廃スキー場の最上川スキー場跡があり、冬季にクロカンで行ってみたいと思っています。立谷沢川に出てから羽黒山へは羽黒古道があるようです。
Stage2 羽黒山 ― たらのき代 ― 宝谷 ― 松根
羽黒山の石段を下りると、あとはずっと車道歩きの区間です。ある意味ここが一番の難所かもしれません。宝谷に蕎麦屋さんがあるようです。
Stage3 松根 ― 十王峠 ― 大網 ―塞ノ神峠 ― 田麦俣
松根からは六十里越街道の古道歩きです。古道歩きのトレッキングも開催されて、整備されているようです。峠から庄内側の月山を展望できます。多層民家の田麦俣集落で一旦区切ります。
Stage4 田麦俣 ― 細越 ― 湯殿山入口 ― 大岫峠 ― 志津
引き続き六十里越街道ですが、途中、湯殿山本殿は参拝したいところです。大岫峠の道が土砂崩れで通行止めという情報もありますが、どうなっているか。
Stage5 志津 ― 姥沢 ― 横道 ― 清川行人小屋
四ツ谷川の源頭部からかつては清川小屋に向かって、横道というトラバース道がありました。今は道なき道となっていそうです。ここだけは行人小屋泊まりとなるので、次の行程と連続になります。
Stage6 清川行人小屋 ― 念仏小屋 ― 肘折
行人小屋から念仏小屋間の稜線は道のない尾根なので、残雪期にスキーを履いてということになりそうです。
Stage7 肘折 ― 今神温泉 ― 浄の滝 ― 角川 ―古口
肘折から山越えで今神温泉跡・今熊山を経由して、浄の滝を拝んだあとは古口まで角川沿いの車道歩きになります。
Stage8 古口 ― 舟下り ― 草薙
ずっと歩いてきてここだけ乗り物(!?)ですが、芭蕉に思いを馳せながら最上川舟下りで締めくくります。雪見酒もいいかもしれません。

いずれも真夏に歩くところではなさそうですので、涼しくなってから。だいぶ先の話になりますが、よろしくお願いします。
ーー
かがみ
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当時、コロナ禍の下で消去法的にやっていた「金華山道歩き」を完了し、ロングトレイル的なことに興味が出てきての発想だった。割と軽い気持ちの思いつきだったのだが、いざ実際に歩き出してみると、なかなか思ったよりも困難に感じられたり思うように行かなかったりで、ルートは細かいところで変更せざるを得なくなったところもあったが、とりあえずの一回りを2025年の秋に果たすこととなった。区間ごとに区切りながら4年越しでの達成だったが、実際に歩いた工程を次に書き残しておこう。

2.実行程概略
実際に歩いた行程はこうなった。
Stage1 2022/9/25 羽黒山 ― たらのき代 ― 宝谷 ― 松根
Stage2 2022/10/22 松根 ― 十王峠 ― 大網 ―塞ノ神峠 ― 田麦俣
Stage3 2022/10/23 田麦俣 ― 細越 ― 湯殿山入口
Stage4 2022/11/12 湯殿山入口 ― 大岫峠 ― 志津
Stage5 2023/4/29 志津 ー 姥沢 ー 行人小屋上1845m地点
Stage6 2024/5/5 行人小屋上1845m地点 ー 清川行人小屋
Stage7 2025/4/12 清川行人小屋 ー 念仏ヶ原 ー 肘折温泉
Stage8 2025/6/13 肘折温泉 ― 今神温泉 ― 長倉の大杉 ― 角川 ―古口
Stage9 2025/11/15 清川駅 ー 神社 ー 蜂子 ー 羽黒古道 ー 羽黒山
Stage10 2025/11/16 古口(舟番所)ー 舟下り ー 草薙

3.各行程覚書
当時の記録をまとめてみようとしたところ、何も残っていないところがあったり、ごく簡単なメモ書き程度だったりだったので、あらためて記憶を掘り起こして書き残してみることにした。3年前ぐらいだともううろ覚えだったり、記憶違いがあるかもしれないが、逆に強く記憶に残ったことはそのまま覚えているのではないかとも思う。

Stage1 羽黒山から松根八幡へ 鏡(単独)

羽黒随神門(8:30)ー出羽三山神社(9:20)ー宝谷そば(13:40)ー松根八幡神社(14:50)ーかたくり温泉ぼんぼ(15:15頃)ー庄内あさひバス停(18時頃)

鶴岡駅前で前泊し、一番のバスで羽黒山へ。羽黒随神門で下車。小銭がなく、スイカに1万円チャージして支払う。
石段を登って羽黒山頂上へ。この石段を登るのも久しぶりだが、なかなか骨の折れる急坂だ。出羽三山神社に

参拝して月山一周を祈願する。駐車場から自動車道に並行する山道を下って行く。忘れられたようなお堂、ブナと里山の植生が混じる道。再び車道に出ると、向かいに荒沢寺がある。ここから長い車道歩きが始まる。深い渓谷を見下ろす羽黒山神路大橋を渡った後、左に入り、溜池の点在する丘陵地から川代に下る。藤島川にかかる橋を渡り、中川代の一軒宿温泉を過ぎて、坂道を登る。台地上には水田が広がる。田んぼの中に中川代遺跡の看板を見る。このような台地の上にも古代人が暮らしていたのだろうか。下方に庄内平野を見下ろす水田地帯を歩くと、桜ヶ丘の地名、桜ヶ丘の神社を見る。

今野の集落に下り、一段登った神社で休憩する。再び坂道を登って、台地上の田んぼから、月山高原鈴木農園の一角、広大なブルーベリー畑に出る。この先、小文地楯手前でショートカットを試みるが、沢に阻まれ戻る。たらのき代の集落からスキー場の下を通り、宝谷へ。ここには地元の人たちが営む「宝谷そば」があり、そばの昼食にありつく。
宝谷からだらだら坂を下って松根へ。こばえちゃラインの広い道路に出て、上松根の松根八幡神社。次のステージとなる六十里越古道はここからスタートだが、今日はこのまま先へ進む。一旦東橋を渡って、かたくり温泉ぼんぼで入浴し休憩。後は赤川の堤防の道を歩いて、落合からあさひの高速バス停。夜の高速バスで仙台に帰った。この日の歩行距離は約30km。

Stage2 -3 松根八幡から田麦俣、田麦俣から湯殿山神社入口

メンバー:
10/22 鏡、大竹、坂本、牧野
10/23 鏡、坂本、牧野、西田、岡安

行程・タイム
10/22 松根八幡神社出発(9:40)ー追分石(10:30)ー十王峠展望地(11:30)ー大網注蓮寺(12:18)ー大網大日坊(13:06~14時頃)ー塞ノ神峠(14:46)ー田麦俣(15:15)ー七ツ滝駐車場着(15:38)
10/23 七ツ滝駐車場出発(8:00)ー国道スノーシェッド通過(8:40)ー細越峠(10:05)ー遥拝所(10:26)ー旧湯殿山ホテル着(11:20)

月山一周道の一環で六十里越古道の計画は意外に多くの人が参加してくれた。一日目の松根から田麦俣のコースは一行4人となり、軽自動車2台でちょうど良い。好天の下、月山道を走るとすっかり色づいた月山の山懐が眺められた。田麦俣の七ツ滝駐車場に1台を置いて、スタート地点の松根八幡神社に向かう。神社の前には数台停められそうなスペースはあるものの完全に民家の前なので、少し奥の農道脇に停めようとしていたら、民家のおばあさんが前に停めていいと言ってくれたので、ありがたく駐車させてもらう。時々六十里越えを歩きに来る人はいるようだが、自分では歩いたことはないとのこと。

神社にお参りした後、横の農道から六十里越古道歩きのスタート。歩き出してすぐに栗のイガが散らばっていて一同の目の色が変わるが、大きな実はすっかり拾われたあとでわずかに残っているのは虫食いばかり。所々に旗のぼりや道標、案内看板、俳句看板が立っている。国土地理院の地図にはこの部分十王峠までの道が記載されていないのだが、実際はしっかりした道であまり迷うことはない。ぽかぽか陽気で汗ばみながら歩いて行くと尾根沿いの道になり、時折展望が開ける。十王峠の手前で谷道と峰道に分かれるが、眺めの良さそうな峰道に入ると、一旦車道を横切り「鰻の背坂」を過ぎると背後に庄内平野と鳥海山の景色が拡がった。登り切ると十王峠の展望地で、今度は大網方面から月山湯殿山に開けている。六十里越、大岫峠は遥か彼方だ。古の旅人も先を思ってげんなりしたのではないだろうか。

十王峠の下りには「イタヤ清水」が湧いている。名前の由来は「諸説あります」らしいが、小さなかわいらしい石の「六地蔵」が見守るおいしい水だった。下り切ると注蓮寺。お堂は閉まっていて誰もおらずひっそりしていたが、彫刻などの立派さに往時の繁栄が偲ばれる。芥川賞の森敦「月山」の舞台も今は訪れる人も少ないようだ。しばらく車道を歩いて大日坊へ。茅葺の立派な山門をくぐっって中に入ると、こちらは打って変わって参拝者がひっきりなしに訪れている。即身仏「真如海上人」が目当てなのだろうか。せっかくだからと坂本さんと牧野さんは拝観に入るが、大竹さんと僕は外のベンチでのんびり休憩する。

ちょっとだけの「ミイラ」見物かと思いきや、二人がなかなか出てこないのでやきもきしているうちに、さっきまでのぽかぽか陽気が一転、雲行きが怪しくなってきた。待ちくたびれた頃に二人出てきたが、お坊さんの講釈がなかなか念に入っていて時間がかかったとのこと。行程再開と腰を上げたと同時にぽつりと来たと思ったら本降りになり、あわてて合羽を着る。田麦俣へはもう少し。車道を歩いて関谷から林道に入り、山道をわずかな登りで塞ノ神峠。こちらは林の中の小さな峠で展望は特になし。
幸い雨は小降りとなり、国道を横断して田麦俣の集落へ。かつて殿様が渡ったという橋から紅葉の谷を眺め、茅葺の多層民家「遠藤家」の前を通って、坂道を登り返して、今日の終点七ツ滝駐車場だった。朝とは変わって山々に霧のからむ秋の山里が眺められた。

大竹さんの車でまずは松根に戻り、神社前の家のおばあさんに挨拶して車を回収、そこから近くの「かたくり温泉ぼんぼ」で汗を流す。秋の日は短く、志津のキャンプ場に向かう頃には暗くなっていた。
月山道路はまた雨となり、稲妻も光っている。人気のない志津のキャンプ場に侵入、大竹さんが「あづまやがあるはず」とのことで奥に進むとちょうど雨をしのげそうな大きいのが立っていて、占拠する。ここまで付き合ってくれた大竹さんは仙台に帰る。テントを一つ立てて準備しているうちに、西田さん、岡安さんが到着してキャンプとなった。雨も徐々に止んできて、快適なキャンプとなるはずだったが、ここで大量のカメムシが登場。いやカメムシたちの住居に我々が不法侵入した形だろう。彼らの習性として熱のある方に集まるようで、ガスバーナーを燃やすと民族大移動よろしく一斉にそちらに寄って行く。岡安さん提供の薪で西田さんが焚き火を始めると、今度はそちらに向かって行く。とにかく食べ物飲み物にだけは入れないように、こまめに食器の蓋をしながらの夕食となった。せっかくの牧野さんの芋煮汁、坂本さんのおつまみもおかげで味わい半分となったのはちょっと残念だった。テントにも奴らが入ってくるのは必至とあって、岡安さんと僕以外の3人は車の中で寝たようだった。

夜中には星空となっていたが、朝もいい天気。昨夜はわからなかったが、キャンプ場の周囲もきれいに紅葉している。7時前に行動開始、志津に車を一台残し、田麦俣に移動する。しかし天気予報は怪しげなので、途中の湯殿山入り口にも一台をデポしておく。
七ツ滝の駐車場に着くと同時にかなり本降りの雨となる。しばし迷うが、牧野さんのスマホ予報では少しすれば雨雲は通過の見込みということで、合羽を着込んで歩き出す。車道を少し戻って蟻腰坂から六十里越古道に入る。入り口にミニチュアの多層民家があり、登山届け入れとなっているのが面白い。
最初がやや急な登りだが、登り切ると徐々にゆるやかな山道となる。道はしっかりしていて、落ち葉が足に柔らかく歩きやすい。幸い雨は止み、合羽も脱いで行く。途中国道を横断するが、スノーシェッドの上に歩道が確保してあった。前日の行程は里山然とした植生だったが、今日は奥山らしい深いブナ林に入って行く。要所要所に看板があり、昔の茶屋跡だの弘法大師のなんとかだのが続く。龍神ブナはともかく、二本のブナの木が手を繋ぐ「ラブラブナ」は最近の命名だろう。昨日は俳句だったが、今日は山形出身の歌人、斎藤茂吉の歌碑を辿っての行程となる。

尾根の上に切り通しを付けた「小掘抜」「大掘抜」を通過する。それぞれ「コホノギ」「オホノギ」と読むらしい。切り通しにするまでもなさそうな起伏だが、昔日に馬を通すためにわざわざ掘ったのであろうか。さすがに登山道ではなく交通のための「街道」らしく、登るともなく細越峠にたどり着いた。志津までは結構な距離だが、このペースなら歩けそうだ。峠の先で横に入ってしばし登ると「遥拝所」。谷を挟んで湯殿山神社の赤い大鳥居と奥の院が眺められる。全くの山の風景の中にぽつんと立つ様は、昔の人には相当なパワースポットと感じられたであろう。

峠に戻って、街道を下り始めるとポツポツと降り始めた。合羽を着ると同時にまたかなり強い本降りとなった。予報はもともと芳しくなかったので、今日の行程は湯殿山神社入り口までとする。
一台デポした車でまずは七ツ滝の岡安さんの車を回収に行く。全員は乗れないので、残る3人は湯殿山神社に歩いていくとのこと。車を回収して戻ってきて、有料道路を大鳥居のところまで進む。3人の姿が見えないので、そのまま神社奥の院まで歩いて行く。結局奥の院に参拝しても出逢えず、引き返す途中でようやくすれ違った。有料道路を走っている時に、山道を歩いていた3人を追い越したらしい。先に車に戻って待っているうちに、雨はますます強まり吹き降りとなった。散々な天気になったが、岡安さんと牧野さんは初参拝だったとのこと。こんな天気でも大勢の観光客、参拝者が次々に訪れているのが印象的だった。
だいぶ体が冷えてしまったので、最後は温泉へ。と水沢温泉に向かうと、なんと休館。改修工事で来年春まで休みとのこと。月山の山スキーシーズン中ずっと使えないようだ。ともかく近くの「うなぎ温泉」でなんとか温まることができた。車3台、温泉で解散となった。

六十里越古道、完走とはならなかったが、秋の山道歩きはなかなかに味わい深かった。雨には降られたが、同行の皆さんのおかげで、終始わいわいと楽しく歩かせてもらえた。さて残る大岫峠(おおぐきとうげ)を今年中に越えられるかどうか。

Stage4 六十里越古道残りの区間 湯殿山神社入口から志津  鏡(単独)

一泊二日六十里越古道歩きが悪天候のため湯殿山神社で終わってしまったので、志津までの残り区間を歩きに行った。一人では交通の問題が常につきまとうが、今回は志津から玄海道を歩いて装束場から湯殿山神社に至り、そこから六十里越古道を志津に戻る周回コース。季節は既に晩秋だが、小春日和の絶好の天気。ビジターセンターのあたりで舞茸採りのおじさんに会った。自信満々だったが、確かきのこ不作の年で収穫はどうだっただろうか。
雪のない石跳川沿いの道を歩くのも何十年振りか。高校山岳部だった頃の事を思い出す。登る程に湯殿山の石跳側斜面の眺めが広がる。笹の緑と草紅葉の茶色の斑ら模様。装束場まで登り上がれば、姥ヶ岳から月山本峰の眺め。(いや、本峰が見えたかは定かではないが。。)


石積みだけが残る装束場の鞍部から湯殿山奥の院への下り。長い鉄梯子が連続する金月光の難所から、既に営業期間終了の湯殿山神社に至る。無人の霊場には秋の明るい光が満ちていた。
朱塗りの橋を渡って車道を下り、前回の六十里越古道歩きの分岐点に到着。ここで大休止。固形燃料でお湯を沸かしてカップラーメンの昼食。他に人気はなく静かな山だ。
ここからが古道歩きの残り区間。ブナ林の中の道を歩く。途中の地形観察から、湯殿山西面のスキー滑降を考えたりする。緩やかな道が続き、最後の登りで大岫峠(おおぐきとうげ)に出た。良い道だ。峠の頂上には郷土山形の詩人、真壁仁の詩碑が割れて置いてあった。

「峠は決定をしいるところだ。 峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。」
良い峠だ。峠からの下りも葉を落とした明るいブナ林の中をゆるやかに進む。石跳川の手前で六十里越国道の旧道に出て、志津に戻った。

Stage5 志津から清川行人小屋へ  塚本、阿部研一、鏡

清川行人小屋から念仏ヶ原までは夏道のない行程となるため、色々と頭を悩ませていた。残雪期に尾根伝いに行く事を考え、当初は志津、姥沢から行人小屋にトラバースして、一泊後肘折に抜ける計画を立てた。阿部研さんと塚本さんが応じてくれたが、天気予報が不安定だったので日帰りの計画に変更した。
当日は案外の好天、スキー場リフトから一旦四ツ谷川のカール状斜面に下り、対岸の雪渓を登る。塚本さんはテレマーク、自分は最近練習中のBCクロカン。登りの途中から周囲を観察する。かつては姥ヶ岳方向から清川行人小屋方向に向かうトラバース道「横道(よこどう)」が存在していた。実際に自分が高校生の時の総体予選大会でこの横道を歩いている。当時もほとんど使われなくなった道で、細い踏み跡が残るようなものだったと記憶している。そう思って斜面を眺めると、灌木帯の中に水平に走るラインが所々見えている。今でも踏み跡を辿ることが出来るのか、いつか確かめてみたいものだ。

雪渓を登り詰めると上部で雪が消え、笹ヤブに阻まれた。スキーをデポして、少し上の巨石のあるあたりまで歩いてみる。もう少し先まで偵察した阿部研さんによると、行人小屋から念仏に続く尾根上は既にすっかり雪が消えているという事だった。この日はここから滑って戻る。板を履く時に流しかけてようやく捕まえたりした(BCクロカンにはブレーキが付いてないので要注意だ)。スキー場の斜面を横断して姥ヶ岳の斜面から石跳川方向に下ったが、途中で転倒滑落してブッシュにぶつかり、軽く打撲症になった。ともかく志津まで戻り、これで志津から行人小屋の上までのラインを繋いだこととする。(やや不本意ではあるが。。)
なお、別の日に山頂から行人小屋に滑降し、登り返して四ツ谷川方向に同じ雪渓を下ったので、これで志津と行人小屋が繋がった事にした。横道の件は心残りだが、トレッキングルート、ロングトレールとして考えるなら、普通に山頂に登って肘折コースを歩いた方がすっきりしているし確実、と思うようになった。

Stage7 清川行人小屋から肘折へ 牧野、田中、岡安、西田、鏡

清川行人小屋から肘折温泉へのルートは、行人小屋と念仏ヶ原の間が尾根続きながら夏道のない部分となっている。最初は残雪期に尾根を行けばいいと思っていたが、雪消えが早いらしい事もあって、再考が必要となった。それならばと目を付けたのが、清川源流の沢下り。行人小屋から沢を下りて行けば肘折登山道の清川橋で道に出ることが出来る。山岳会の田中さんが実際に釣りで遡行していて、特に悪場もないようだった。しかし、この案もなかなか実行に移す機会がないまま時間が経ってしまった。
そうこうするうちに雪山シーズンとなり春山となって、会山行で肘折コースの計画が出てきた。しかも車周回の関係から清川行人小屋泊りの計画で、僕にとってはまさに渡りに船だった。援軍多数と安心して今回もBCクロカンで参加した。
当日はまず肘折に帰りの車をデポした後、西川町の道の駅から町営バスで姥沢のスキー場にアプローチ。月山頂上はお昼過ぎの時間となったが、天気は上々小屋まで滑り下りるだけなので問題なし。滑りも快適だった。小屋には既に先客が陣取って宴会中だった。元気なメンバーはまた山頂方向に登り返して夕方までスキーを楽しんでいたが、自分はさっさと腰を落ち着けて酒盛りの準備を始めた。

翌朝、肘折を目指して出発。もう一度山頂まで登り返そうという意見も一部にあったが、幸いにして却下され、月山東面の広大な雪の斜面を斜上して肘折コース途中への合流を目指す。ちょうど1628mの三角点のあたりで肘折コースの尾根に乗り、後は通常のコース通り。しかし昨日の好天から一転ガスの中の行軍で、慎重にGPSで位置を確認しながら下ることになった。特に千本桜からの急な尾根の下りは、雪面にあちこちクラックが入っていて緊張を強いられた。幸い前日までのトレースが多数雪面に残り、ルートを指示してくれる。

清川橋で立谷沢の本流を渡るが、橋はわからない程まだ雪で埋まっていた。登り返して念仏ヶ原。ここの雪原が最もBCクロカン本領発揮の区間だった。小岳まで尾根通し、その先の赤沢川支流に入るとしばし谷沿いに滑る。短い登り返しで赤砂山の手前の尾根をからんで大森山に続く尾根に乗らなければいけないのだが、錯綜した先行トレースに迷い、ルートミス。沢を下り過ぎて滝場が出てきて戻ったり、余計な急斜面の直登になったりという一幕はあったが、何とか大森山に出た。最後は林道の下りとなって、ここでもBCクロカンが活躍してくれた。時間切れだと入れなくなるカルデラ温泉館もセーフ、無事温泉入浴できた。

ということで、最難関と思われた清川小屋から肘折へのルートは、積雪期のスキー利用というやや変則的なものとなった。大雪田の残る所なので、残雪期でも同ルートを歩くことは可能かもしれないが、トレールのコース設定としては問題があり、前述のように山頂から素直に肘折コースを辿るのが真っ当だろう。

Stage8 肘折から古口へ 鏡(単独)

肘折温泉(8:20)ーカルデラ館(8:36)ー番所峯(9:23)ー志賀山(9:38)ー今神温泉跡(10:55)ー今熊野神社・長倉の大杉(12:07)ー国保発祥の地記念碑(13:18)ー舟番所跡(15:02)ー古口駅(15:10)

清川行人小屋から肘折でしばらく行き詰まっていた我がツールド月山だったが、曲がりなりにも肘折まで歩き進めた事で、一周へのやる気が戻ってきた。次は肘折から角川に出て古口までというルートになる。当初の構想では途中に浄の滝の奇観をぜひからめたいと思っていて、浄の滝と今熊山の下見山行も計画した事があった。ところがこの山行は当日に珍しく熱を出してしまい、言い出しっぺが不参加となってしまった。この時の大竹さん達によると、浄の滝から今熊山あたりの道は既に相当に不明瞭で、一部には崖のような下りもあったとの事だった。その情報も踏まえて、あらためてツールド月山、行程を前に進める事を優先し、浄の滝への回り道は割愛する事とした。
今回は単独でもあり、交通にはまた頭を悩ませたが、まずは新庄駅まで車で行き、無料駐車場に車をデポ、7:20発の大蔵村営バスで肘折温泉に向かう。季節は6月、温泉手前の高台からは残雪の月山が望まれ気分が上がる。終点まで乗ると遠回りになるので、旅館街のバス停で下車したのだが、小銭がない。バスでも両替が出来ないとの事で困っていると、待っているから前の土産物店で両替してもらって、との運転手さんの弁。その通りにしてバスを降りたのだが、珍しい経験だった。
今日のコースはすぐに銅山川にかかる橋を渡り、しばらく苦水川に沿って歩きカルデラ温泉館へ。これで前回のルートに繋がった。温泉館手前の道に入ってしばらくゆるやかな坂を登って行く。地図には近くに大蔵鉱山跡の表記があるが、これはよくわからなかった。やがて山が迫ってきて山路の登りになる。急な尾根だが道はジグザグに切ってあり、路形も意外にしっかりしている。日差しを背中に受けて汗が出てくるが、しばらく登ると背後の眺めが開けて、肘折のカルデラ盆地が見渡せるようになる。登り切った峠、番所峯はブナの樹林の中、見晴らしも効かないので、尾根伝いに東側にある志賀山のピークまで行ってみる。途中、峠からすぐの所で熊の糞を見るが、この時期まだそれほど熊騒動にもなっていなかったので、気持ち良くはないが構わず進む。見通しの効く所に出てようやく月山の本峰が姿を見せた。志賀山のピーク自体はやはり見晴らしがない変哲もない場所だった。

峠に戻って、今神温泉に向かって下りにかかる。ブナ林の中の穏やかな道で、途中今熊山の岩峰と残雪の鳥海山が重なるように見える所が一番のビューポイント。だが、道が沢底に下りたあたりから怪しくなってきた。それでも所々に赤布を見たりしていたが、途中から完全に道を失った。構わずに樹林の中を適当に歩いていくと、下ヤブもうるさくなくヤブこぎという程ではない。GPSを見ながら適当に下って行くと、程なく今神温泉の上流で沢沿いの路形に戻った。
今神温泉は何年も前から廃業しているのは知っていたが、建物はまだしっかり残っていた。横には露天の浴槽と思しき所もあったが、もちろんお湯が溜まっているわけでもなく、何とかして入浴しようという気にもならない雰囲気。建物入口には立入禁止の看板がまだしっかり掲げられていた。

ここからは車道、林道歩きとなるのだが、途中に大きく路肩が崩壊している箇所があり、車の通行は無理のようだった。途中には今熊山登山道の入口看板もあったが、かなり手前からのアプローチとなりそうだった。山仕事なのか、軽自動車のおじさんと会い、肘折から歩いてきたと言うと驚かれた。いや、呆れられたのか。親切に、乗せてってやるかと言われたが、歩きに来たのでとお断りして先に進む。やがて最初の民家が出てきた所が長倉で、二又の道を少し戻った所が今熊野神社。ここに長倉の大杉がある。堂々たる巨木、古木で神社の社殿よりこちらが御神体の本体かというオーラがある。ここは以前NHK-BSの「こころ旅」で火野正平が訪れていたところ。神社で日差しを除けながら昼の休憩にする。ここまで軽自動車おじさん以外誰にも会わなかった。

後は13km程の車道歩き。角川に沿ってのどかな田園風景を歩くのも悪くはないが、天気が良過ぎて汗だくになる。農協の売店があり、ジュースとアイスを買って休憩するのが唯一のオアシスとなった。またその近くの戸沢村農村環境改善センターには国保発祥の地記念碑がある。記念碑の説明文を読むと、旧角川村の人々の苦労と努力、共助の精神に涙の出る思いがした。
しかしここはまだ長い車道歩きの道半ば。再び人家が少なくなった道に足も痛み出す頃、ようやく最上川本流が近づいてきた。陸羽西線の線路ガードをくぐり、国道47号線に出ると最上川の流れが目に入ってきた。水面には舟下りの船が浮かんでいた。
国道沿いには船番所跡や明治天皇行在所跡の石碑などと共に、最上川洪水の記録として水害時の水位を示す看板もあった。最近では戸沢村役場が水没した洪水が記憶に新しいが、その水位はまだ看板になっていないようだった。
この日のゴールはJR古口駅。代行バスの時間を見て、駅近くの食堂であわただしくラーメンをすすった後、バスに乗り込んだ。新庄駅でバスを下りる時も、車内では現金精算が出来ず、駅で切符を買うシステムだったらしい。新庄駅の窓口で自己申告で精算。無料駐車場から車で帰る。歩行距離23.5km、3万7千歩だった。

当初の予定ルートよりは簡略化したものの、角川沿いの車道歩きはやはり長かった。振り返っても月山は見えない。代わりに特徴的な山容を覗かせていたのは高倉山か。浄の滝も一度は見ておきたい。いにしえの角川口月山登山道はどこを通っていたのか。興味は尽きない。

Stage9-10 最上川舟下りと清川から羽黒古道へ   坂本さん、松木さん、鏡

古口まで辿り着いて、ツールド月山も終局が見えてきた。地図を眺めてこの一回りコースを構想している段階から、この北辺部分は最上川舟下りにしようと決めていた。何しろ角川から立谷川、羽黒山方面へは山と谷が幾重にも重なり、山越えの道は見当たらない。最上川に沿う国道の交通量の多さを考えると、ここの車道歩きは頂けない。それよりは川があるのだから、舟で下るというのが一番理にかない、しかも楽しそうだ。
一方で、舟を下りてから羽黒古道へのルートは、ただ立谷川に沿って歩くよりはと、土湯山の山越えを考えていた。実際に坂本さんと松木さんの同行を得て計画書の段階までは、このコースを計画していた。が、この秋の各地での熊出没騒動に鑑みて山越えは諦めて、清川駅から大人しく立谷川に沿う道を辿ることにした。

早朝に坂本さん宅で二人をピックアップ、車で余目の駅を目指す。駅前のJR利用者用駐車場は幸い1台分だけ空いていた。JRの代行バスで清川駅へ。一旦無人駅の待合所で準備をして歩き始める。余目駅にもあったが、「清河八郎を大河ドラマに!」という地元のキャンペーンなのか、幟があちこちに立っている。藤沢周平の「回天の門」などが原作になりそうだが、僕のイメージでは以前三谷幸喜作のドラマで西村雅彦が演じていた、いかにも胡散臭い奴の記憶が強く、なかなか大河の主役は難しそうな気がする。
天気はいいが、既に晩秋、空気はピリリと冷たい。清川の街、八郎を祀る清河神社の前を通って、田んぼの中の道を歩くようになる。やがて路傍に小さな祠があり、「水神大権現」とある。近くには「北楯大堰」の案内看板。最上義光の時代に水田開発のために水路を作ったとあるが、これが現在も農業用水として使われているのだろう。月山山中にも天保堰など農業用水が拓かれているのを思い出すが、まさに水は命、先人の苦労が偲ばれる。
しばらくは立谷川の左岸、水田地帯の真直な道を歩いて行く。埼玉で農業をされているという松木さんは、水田や畑の様子にも興味があるようで、話を聞いていても面白い。
羽黒古道へはこのまま真直行けばいいのだが、あまりに坦々とした道のりなので、途中の板敷橋で右岸に渡り、熊谷神社に寄り道する。社殿はすでに雪囲いされた後だったが、山気漂う境内に杉の古木が良い雰囲気だ。熊谷神社とは由井正雪の弟子熊谷三郎兵衛を祀った神社だそうだが、それに加えて幻の米「亀之尾」発祥の地でもあるらしく、その記念碑も建っている。米農家の松木さんも亀之尾にはあまりぴんと来ていないようだったが、後日「夏子の酒」のモデルということで思い出されたようだった。

途中の「庄内町立谷沢まちづくりセンター」でトイレを借りた後、鉢子の集落から羽黒古道に入る。鉢子という名前で多分と思ったが、これはやはり出羽三山の開祖と云われる蜂子皇子に由来しているそうだ。蜂子皇子をお守りしてこの地に流れ着いたお付きの人々が住み着き、同字では恐れ多いと鉢子と字を変えたと伝わっているらしい。蜂子皇子は蘇我馬子や聖徳太子の時代の人というから、伝説の真偽は確かめようもないが、例えば戦国大名家の源平藤橘などよりは真実が含まれているように思う。
羽黒古道、入口は古い舗装の林道から里山の雑木林に入っていく。ところが、途中から伐採地や高圧送電線の下に入り、残念ながら古道の趣きはあまり感じられない。「見はらしの丘」も高圧鉄塔の下である。
しかし車道を一本横断し最後の登りにかかるあたりから、羽黒山らしい杉林が出てくる。やがて木の間越しに朱塗りの社殿が見えてきて、山頂にある境内の一角に飛び出した。3年振りで振り出しの羽黒山に戻ってきたことになる。巨大な茅葺屋根の出羽三山神社にお参りして、月山一周道の御礼参りとする。

時間があれば、石段を歩いて五重の塔、随神門まで行きたいところだったが、バスの時間などを勘案して、山頂バス停から鶴岡行きのバスで下山。鶴岡駅でも接続の良い列車があり、飛び乗るようにして余目駅に向かった。
余目では、先に町の中にある「庄内町ギャラリー温泉 町湯」で汗を流す。山形の温泉施設には珍しいモダンな建物が面白かった。そして、今夜の宿、余目駅前すぐの「余目ホテル」へ。ホテルという名前ながら古い日本旅館のような建物、おかみさんのおもてなしと食事が人気らしい。この日の夕食は最上川の川蟹が山盛りだった。

翌日は最後に残った区間である最上川舟下り。順番が逆になってしまったが、行程の時間を考えてこの順になった。もっとも、最後にのんびり舟下りというのも悪くない。
舟下りだけだと時間はさほどかからないので、その前に昨日見られなかった羽黒山の五重の塔を改めて見に行く事にして、宿のおかみさんと話をしていたら、麓の町手向(とうげ)にある荒澤寺黄金堂をお勧めされた。個人的な思い出、体験もあって大変思い入れのある、霊験あらたかな寺なのだそうだ。
ということで、まずは荒澤寺黄金堂に参拝。時間が早かったためか、御堂は閉まっていて三十三体観音像を拝むことは出来なかった。境内には於竹大日堂もある。

その後ちょっと移動して、羽黒随神門をくぐって羽黒山の参道へ。山頂の社殿以上に、こちらの杉並木、石段、そして奥にひっそりと佇む五重の塔には霊場としての雰囲気が感じられる。石段の風情が名残惜しかったが途中で引き返し、古口へと移動。観光船の船着場の施設で切符を買い、船頭さんに引率されて乗船、いよいよ最上川の舟下りだ。
テレビの映像などでは見慣れた舟下りだが、自分も実際に乗るのは初めて。周囲の最上峡の紅葉はほとんど落葉となっていたが、いくらかはまだ色付いた葉が残っているところもあった。途中にスリリングな急流もあるものの、ほとんどはゆったりとした流れの舟下り。ガイド役の船頭さんの説明で、昔日の最上川舟運時代の話などもなかなか興味深かったが、最後の世界各国語での最上川舟唄には、インバウンド時代を実感させられた。

草薙の船着場で下船すると、程なくバスが来て、古口の船番所まで戻る。これで我がツールド月山、月山一回りの旅は完結となった。細かいことを言えば、古口駅と古口の船番所の間が少し空いているし、清川駅と草薙の間も何キロか繋がっていないのだが、その辺はもういいかという気になってきた。古口の佐藤長三郎で蕎麦と麦切りの昼食。新幹線で帰る松木さんを新庄駅に送って、仙台への帰路に着いた。

4.末言
あらためてロングトレールとしてのツール・ド・月山を考える。本家のツール・ド・モンブランよろしく、ワンウェイでの一周も可能なコースとするためには、道のない残雪期しか通れないコースは好ましくないし、各ステージ間に宿や山小屋などのアコモデーションは欲しい。そうした観点から見れば、行人小屋から肘折の部分は、やはり山頂から肘折登山道とした方が良いだろう。山頂には宿泊できる営業小屋もあり、軽装で歩けば、一日で肘折まで歩くのも特別無理なコースではないだろうし、荷物を背負って念仏小屋で一泊も良いだろう。
あとは志賀山越えから今神温泉間の路が荒廃している部分が気になるところだ。今神山、浄の滝含めてせっかくの、言わば観光資源でもあるのだから、何とかあらためて整備して頂けないものだろうか。
いずれにしても昨今の熊出没は、奥山里山を問わず登山者の脅威となっている。こちらの方も何らかの対策で沈静化することを切に願うものである。(2026年5月16日 付言)

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